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そのうち整理しますかね?

越谷市の街区(地名)表示板・地名琺瑯看板 [343] 町丁ごとの分類

 

越谷市の街区表示板・地名表示板・地名琺瑯看板を町丁ごとに分類したものです。

 

※大字の地区は地名表示板が設置されている大字西方を除き省略です。越ヶ谷・大沢も〇丁目でないエリアは省略です。

 

駅ごとにエリア分けしましたが、町丁成立過程を考慮した結果、一部町丁が変なところに分類されていますが仕様です。

 

形態ごとの分類はこちらになります。

nodatan-5580.hatenadiary.com

 

 

一覧

 

 

 

 

せんげん台駅付近(旧桜井村など)

千間台西

なお、春日部市側の境界付近の住所は春日部市千間です。

 

千間台東町

市内のいくつかの町丁は成立後部分的に消滅は多数ありますが(大成町など)、全滅は今のところここのみです。なお、地名表示板として生き残っているのは、物理的に撤去できなかったケースのみです。

 

千間台東

上述の千間台東町が範囲を拡大し、新たに千間台東になりました。

 

平方南町

郵便番号343-0001は「平方南町」になります。

なお、最寄り駅は武里駅です…

 

北越谷駅付近(旧大沢町・旧増林村など)

※東越谷・増林など明らかに越谷駅が近いエリアを含みますが、これは花田二丁目以降と東越谷六丁目・十丁目の一部の成立が同時だったことを優先した結果です…

北越谷

越谷市で最初の住居表示地域です。地名琺瑯看板がまだ残っています。

 

大沢

こちらも越谷市で最初の住居表示エリアです。

 

後述の東大沢の成立過程で成立しました。なぜか地番地区らしいです。(越谷市ホームページより)

 

東大沢

鷺高土地区画整理事業によって成立しました。なお、1976年スタート、1996年換地処分と20年かかっています。

 

弥栄町

なお、北越谷駅に小田急の車両は来ないのですが、小田急が開発したそうです。(小田急弥栄団地)。なお、もともと工業団地として計画していたそうです。

 

花田

花田一丁目は宮前一丁目と同時に成立しました。

 

こちらは東越谷六丁目・十丁目の一部と同時に成立しました。

ちなみに大字花田は久伊豆神社周辺に現存しています。

 

宮前

一丁目しかありません。「宮」は越ヶ谷久伊豆神社を指すかと。

 

東越谷

もともと埼玉郡小林村で、住所の重複解消で小林村、合併で大字小林となり、現在は越谷です。

 

東越谷は東小林を置き換える形で、気が付いたら十丁目まで擁する町丁になっていました。

 

  

越谷市内では珍しい、町丁名の変更を伴わない地名表示板の更新が行われました。

…まあ、地番は結構変わりましたが。例として越谷市立病院が、東越谷十丁目47-1から東越谷十丁目32になるなどです。

 

参考

https://www.city.koshigaya.saitama.jp/kurashi_shisei/kurashi/sumai/tochikukakuseiri/higashikoshigaya/higashi_kanryou2018.html

 

これをもって大字東小林は消滅かと思います。なお、農地マップ上は生き残っているらしい表記ですが…

 

増林

増林は範囲が広いので、北越谷駅が最寄になると思われるエリアもあります。

なお、町丁部分は、割と田畑です。

 

増森

こちらも、家より田畑が多いかと思います。

 

中島

地名だけのものは、埼玉県内の他の市町村では確認できませんでした。

なお、ここも例にもれず田畑率高めです。

 

越谷駅付近(旧越ヶ谷町・旧出羽村)

越ヶ谷

越谷市ですが、住所は「越ヶ谷」です。なお、通称地名「新石(しんこく)一丁目~三丁目」が越ヶ谷一丁目~三丁目になりました。越ヶ谷五丁目は「音羽町・新道」などからです。

 

越ヶ谷本町

こちらは通称地名「本町二丁目~三丁目」からです。本町一丁目は中町になったそうです。

 

御殿町

逆さまに設置されていました。再訪した際は撤去されていました。

 

柳町

市道1120号線の開通や葛西用水(逆川)の改良で、だいぶ改変された感じがしますので、恐らく現存しないかと思います。色は戸別の住居表示からの推測です。

 

中町

上述の市道1120号線が中心をぶち抜いているため、古い区画の家屋が少ない印象です。おそらく現存していないと思います。

 

 

弥生町

なお、こちらも再訪時既にありませんでした。

 

赤山町

4・5丁目は住居表示エリアですが…街区表示板が見当たりません…越谷市ではよくあることですが…

 

赤山本町

赤山町6丁目が住所変更で赤山本町になりました。

 

神明町

なお、地名表示板はまだ見つかりません…

かつての大字神明下などから成立です。

宮本町

かつての大字四丁野などから成立です。「四丁野通り」として名前は残っています。

 

東柳田町

成立時期的に街区表示板ありそうなのですが…

 

元柳田町

住居表示地区でも街区表示板が無いのが越谷市内各所であります。

 

 

南越谷駅・新越谷駅付近(旧蒲生村・旧出羽村・旧大相模村)

なお、旧蒲生村のうち、旧々蒲生村(明治の大合併前の蒲生村)は蒲生駅を、旧出羽村の北部は越谷駅を、旧大相模村の東側(東方から東)は越谷レイクタウン駅付近を参照。

南越谷

余談ですが、つい最近に街区表示板を掲示している家が撤去されたため、残存率が低下しました…外壁設置時代の街区表示板につきものです。

 

なお、4桁地番のエリアは、最後に大字瓦曽根・蒲生などから編入されたエリアです。

 

瓦曽根

地名の由来としては「川沿いの自然堤防」…まんまですね。

完全に余談ですが、アニメ「小林さんちのメイドラゴン」で出てくるマンションの所在地はここ(瓦曽根一丁目)説があります。

 

登戸町

なお、越谷貨物ターミナル内に大字登戸が残っているという説もあるそうで。

 

流通団地

なかなか無い、枝番アリの地名表示板です。

 

(大字)西方

市内唯一の「大字にある地名表示板」です。恐らく隣接する流通団地の影響かと思いますが…

 

西方

こちらは町丁の「西方」です。区画整理名としては小字から「堂面」としていましたが。

 

新越谷

新越谷と名乗りますが、もとは七左町2・3丁目、言い換えると旧出羽村エリアです。

(新越谷駅は旧蒲生村)

 

七左町

現時点では、この破損したもののみしか見つけられていません…

 

谷中町

そもそも設置されたのかどうかすらよく分かっていません。

 

新川町

県内でも数少ない、地番部分が存在しないタイプの地名表示板です。

 

大間野町

「大間野」ですが、「大間野」表記です。そしてまさかの地番部分無しタイプです。

現時点では五丁目のみ確認しています。

 

現時点では大間野町4丁目のみで確認しています。おそらく後から設置されたものとみられます。

 

こちらは川を渡った先のエリアで、草加市を経由しないと立ち入れないエリアかと思います。

 

蒲生駅付近(旧蒲生村)

蒲生

後述のごとく、蒲生には蒲生〇町が多数ありますが、蒲生〇丁目も存在します。いまいち基準が分かりませんが…ちなみに、大字蒲生も綾瀬川付近の伊勢崎線沿いに現存しています。

 

蒲生旭町

蒲生〇町シリーズのうち、街区表示板の設置を確認したエリアとそうでないエリアがありますが、ここは見つからなかったです。

 

蒲生寿町

「がもうことぶきちょう」です。町は「ちょう」と「まち」が混在しています。

 

蒲生茜町

蒲生シリーズの中で最後に成立したエリアです。なお、蒲生西町と隣接しています。

 

蒲生西町

現時点で地名表示板があるのは1980年成立エリアかと思います。

 

蒲生本町

もともと大字蒲生自体がかなり広く、大体新越谷駅付近から綾瀬川橋梁までがエリアになります。

 

蒲生東町

とりあえず、表面が退色しても文字が見えるのが打出し文字最大の利点かと思います。もっとも、看板が還暦迎える前に更新してあげた方がいいと思うのは私だけですか?

 

蒲生愛宕町

蒲生〇町シリーズ唯一の5文字地名です。

 

蒲生南町

設置時期は、恐らく後述の南町分離後の1982年かもしれません。

 

南町

ちなみに越谷市の最南端は、上述の蒲生愛宕町です。南町でも蒲生南町でもなく。

 

伊原

川柳(かわやぎ)村の「」担当です。…「わ」の部分ですね。

なお、町丁としての「伊原」は「旧伊原村」の西側に位置するかと思います。

 

越谷レイクタウン駅付近(旧大相模村・旧川柳村)

レイクタウン

レイクタウン、英字表記は英語表記です。

おそらく越谷市内で最も有名な場所であり、また、埼玉県屈指のキラキラ地名かもしれません。(個人的には三郷市新三郷ららシティがトップかと)

東町

「ひがしちょう」ではありません。「あずまちょう」です。

なお、千疋屋の千疋は、武蔵国埼玉郡千疋村が由来で、現在は東町およびレイクタウンとなっています。

https://www.rakuten.ne.jp/gold/sembikiya/profile.html

なお、千疋屋はレイクタウンには出店していないそうです。

 

大成町

かつての「見田方(みたかた)村」です。ちなみにこのエリアに地名表示板が設置されてないと聞いた気がするので…

 

相模町

かつての「東方(ひがしかた)村」です。大相模不動尊所在地で、大相模村の由来であり、相模町の由来です。

 

川柳町

川柳(かわやぎ)村は明治の大合併で柿木村・伊原村・南青柳村・麦塚村の合併で誕生し、各村から一字ずつ採って命名しました。1955年に北足立郡草加町に編入するも、同年、大字伊原・麦塚(と大相模村から編入した上谷)が南埼玉郡越谷町に編入されました。

ちなみに現行の町丁名は「かわやなぎちょう」です。