(元)野田線担当のガラクタ置場

そのうち整理しますかね?

東武鉄道の地図式乗車券・硬券編

 

地図式乗車券…って何ぞやとなるかもしれません。簡単に言えば地図の書いてあるきっぷです。そして、その地図が3.0cm×5.75cmまたは2.5cm×5.75cmの空間に書いてあります。どこの駅まで有効か直感で分かりやすい(例外アリ)こと、同一運賃のきっぷの口座を圧縮できる(特に複数方面ある場合)ことが利点かと思います。欠点は運賃改定などで運賃区間が変わると「まるごと改訂」しないといけない点や、あまりにも方面が多いと何が書いてあるのか分からないことが上げられます。どちらかといえば近距離の方が利点を生かせるかと思います。ちなみに利点のうち、口座圧縮は金額式乗車券でも同様です。

 

硬券地図式乗車券もくじ

 

・初期

東武鉄道では、確認できる範囲では、戦後になり地図式乗車券を採用しました。その初期のものです。当時は東武の社紋のみを用いた地紋を使用していました。(現行のJPR地紋に似ていますが…)また、券面はいかにも手書きという文字で、また新字体であることが特徴です。裏面は旧字体なので。
※追記 後述のとぶてつ地紋のものもあります…

 

・中期 [赤地紋]

1957年にきっぷの様式が全体的に改訂され、地図式乗車券もこの時に有効区間が極太線で表されるものになりました。また、地紋がとぶてつ地紋に変更になりました。そして、この時期から裏面に注意書きが記入されるようになりました。

なお、1958年に小規模な改定があり、等級と運賃の位置が反転しました。

 

・中期 [青地紋]

1960年に国鉄が3等級制→2等級制になり、旧2・3等はそれぞれ新1・2等になりました。この影響で、新2等乗車券の地紋が旧2等で使用されていた青色に変更になりました。

なお、3等時代の券も使い切るまで使用されました。別に運賃変わったわけじゃあないので。

・後期 [青地紋]

昭和40年代になり、表面が手書き文字からゴシック体に変更になりました。

なお、1968年までに表面の裏面注意の文字が消失しました。

※裏面の〇自印は硬券自動券売機発券のものです。

・後期 [橙地紋]

1968年ごろから今でもおなじみの橙地紋になりました。なお青地紋も使い切るまで使用されました。効力的には変わりはないので。

 

1969年、国鉄で等級制が廃止され、これを機に東武鉄道でも券面から等級が消滅しました。

この際、多様化しすぎた様式を整理しました。これまで、一般式(からゆき式)・片矢印式・両矢印式・地図式・金額式と運賃改定時の暫定金額式がありましたが、硬券乗車券に関しては一般式[中・長距離]・金額式[短距離]に集約しました。

つまり、ここで地図式は消滅しました。…じゃあ何で記事を作ったのかって?それは券売機編で。