(元)野田線担当のガラクタ置場

そのうち整理しますかね?

伊勢崎線準急の思ひ出 (2003年改正~2006年改正)

 

かつて、小国鉄とも言われていた東武鉄道、特に伊勢崎・日光線系統はその度合いが高い線区で、その理由付けの一つに有料急行列車の存在がありました。

簡単に言えば急行に乗るのに急行券が必要なわけでして、2006年時点では大手私鉄では東武鉄道だけでした。(なお、東上線では急行はおろか特急も料金不要で乗れたりしましたが…)

その関係で、伊勢崎・日光線のメインの速達種別は準急が担っていました。快速快速は長距離列車で、特急急行の補完です。

2006年3月改正で、この国鉄風の状態から、有料特急無料急行の普通の私鉄風に変化していきました。最終的に2022年改正(南栗橋以北ワンマン化)で完成かな?

本稿ではその最終期に当たる2003年改正~2006年改正に設定された準急にスポットを当てたいと思います。

[この投稿は2023年3月ほかのツイートの再編となります。]

 

[更新]2023年8月15日:運用に関して追記。準急浅草行きや注目列車の記述修正。

では、各行先を紹介します。行先の横の[]内の数字は昼間の1時間当たりの設定本数です。

 

準急浅草行き [6]


上りの準急の基本形態です。2本のみ6050型が使用されていました。6・8・10両があり、10両は北千住で後ろ4両切り離して北千住~浅草間は6両でした。南栗橋・館林以北では6両で運転され、南栗橋・館林で増結の運用もありました。なお、10両の浅草行きは基本的に10000系が充当されました。これは北千住の分割が絡むため、電連付きの本形式が充てられていたからです。

◆注目列車

新栃木→浅草 [2200レ(6両)・2276レ(4両)]

・6050型が充当されていました。

伊勢崎→浅草 (平日)[2302レ・2304レ・2306レ]

・10000系が充当。途中の館林~北千住間10両の列車。

 

準急北千住行き

ラッシュ時のみの運転ですが、昼間にも運用の都合で僅かにありました。6・8・10両があり、南栗橋・館林で増結される運用もありました。8・10両運用は8000系がよく充てられた印象です。これは、電連が無い8000系では北千住駅で解結が容易ではないからとみられます。

◆注目列車

館林→北千住 (平日)[2532レ]

・8000系の増結編成を2編成連結した8両で運行

東武日光・東武宇都宮→北千住 (平日)[2290レ+990レ]

・準急では唯一の2列車併結。さらには南栗橋で増結も行う。

 

準急北春日部行き

写真無し…

 

深夜に1本のみ設定されていました。準急の通過する北春日部が終点の列車です。当時の私が夜ウロウロできない年代だったため撮影できませんでした…

 

準急東武動物公園行き

側面幕泣かせの東武動物公園行きです。2003年改正で減便され、あまり多くは設定されませんでした。

 

準急館林行き [1]

伊勢崎線の東武動物公園以北を担う行先です。伊勢崎線は館林まで複線ですので、ここまでの列車として多数設定されていました。

◆注目列車

北千住→館林 (平日)[2503レ・2505レ]

8000系使用の10両編成で2本連続で設定されていました。館林で入庫後6両と4両に分割し、4両は2本併結し夕方前述の北千住行きになりました。

 

準急太田行き [1]

太田までの列車です。かつてA準急があったころは太田行きが原則館林~太田間の各駅停車を担っていました。



 

準急伊勢崎行き [1]

伊勢崎線の終点、伊勢崎までの列車です。走行距離114.5kmで、これが昼間1時間に1本設定されていました。夕ラッシュ時にはさらに増え、伊勢崎線方面は伊勢崎行きばかりの時間もありました。2006年改正で太田~伊勢崎間ワンマン化で区間急行に引き継がれず消滅しました。

 

準急南栗橋行き [1]

車庫のある南栗橋までの列車です。昼間の準急としては最短距離の列車でした。なお、平日朝1本のみ4両で、ほかは6・10両です…8両はどうだっけ?

◆注目列車

浅草→南栗橋 (平日)[2601レ]

まさかの4両編成。南栗橋到着後、上り準急の増結に使われるという点もイレギュラー。

北千住→南栗橋 (平日)[2603レ]

前述の東武日光・東武宇都宮発の折り返し。南栗橋到着後、前4両と後4両が入れ替わる。

 

準急新栃木行き [2]

 

新栃木までの列車です。昼間は設定本数が2本と他の行先より多く設定されています。

6050型が新栃木所属だったため、入庫の関係での設定がありました。

◆注目列車

浅草→新栃木[2273レ・2275レ・2281レ]

6050型使用の列車。区間急行になったのち、最終的に1本が2017年まで存続した。

北千住→新栃木 (平日)[2213レ・2215レ]

10両編成の列車。南栗橋で前4両切り離しを行った。下りで分割する運用は珍しい。

 

準急東武日光行き

早朝1本のみ残っていました。6050型の運用で、4両編成でした。区間急行後も2009年改正まで存続していました。

 

準急東武宇都宮行き

休日朝1本のみのレア行先でした。もともとは日光線の準急は東武宇都宮行きが多数設定されていましたが、宇都宮線内がホームが4両分しかないため新栃木での分割が必須となり設定本数が減少し、2001年改正で消滅しましたが、2003年改正で4両編成で復活しました。さすがに区間急行には引き継がれませんでした。

 

準急東武日光・東武宇都宮行き

ある意味伝説の列車。恐らくこの時代の東武オタクが8000系の模型を買ったなら貼りそうな行先その2です。(当者調べ。その1は準急浅草)。もともと通勤快速として設定されていましたが、1987年に準急に格下げされ、そのまま名物列車として最後まで残存しました。なお、通勤快速時代は7800系の名物運用だったそうです。

特徴としては新栃木で分割を行うのですが、前2両が東武宇都宮行き、後4両が東武日光行きで、8000系の運用でした。8000系の日光入線はこれだけです。さすがにこれも区間急行に引き継がれませんでした。

 

 

2006年改正以前に消滅した行先

準急業平橋

・2003年改正で消滅(→北千住行きに変更) 浅草駅に10両が入れないのが悪い!

準急曳舟

・1990年改正で消滅(→業平橋行きに変更)なお、曳舟到着後、業平橋駅の荷物ホームに回送していた模様。ようは浅草駅が(ry

準急羽生

・1992年改正で消滅。伊勢崎線利根川鉄橋複線化のため。(→館林行きに延長)

準急伊勢崎・赤城

・いつまであったか不明。8000系がツートン時代に設定あり。

準急幸手

・1986年改正で消滅(→南栗橋行きに延長)。ちなみに当時の幸手~栗橋間8.1kmで、大手私鉄で最大の駅間だった模様。

準急新鹿沼

・1990年改正で消滅。(→新栃木行きに短縮)

準急新鹿沼・東武宇都宮

・1989年改正で消滅。(→新鹿沼行き単独に変更)

 

 

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