
東武鉄道の4+2両編成です。そのまま計算すれば6両編成ですので、組成パターンとしては一般的なものでした。
「でした」と過去形なのは、最近の東武鉄道では分割統合はおろか、中間運転台がある編成(使用可能状態)が減少していて、伊勢崎線系統の一部のみになりました。これは、各種保安設備の整備の兼ね合いや、一説によれば経費削減があるかと思います。
なお、この記事は憶測をもとに執筆しているため、実際の理由等は各自裏取りしてください…
東上線

2015.11.17 春日部
2005年改正で寄居直通が消滅し、6両編成運用自体が消滅したため、営業用としては以後発生していませんが、8000系の検査時や転属時、秩父鉄道を経由する関係で8505F・8506F・8510Fのいずれかと組成する必要があり、伊勢崎線→東上線の場合に4+2両になる場合がありました。
2024年に上記の3編成のうち、最後まで残存していた8506Fが廃車になり、秩父鉄道内電気機関車牽引に変更となったため完全消滅しました。
野田線

2011.6.12 野田市
3000系時代から多数存在していましたが、5000系の館林・新栃木転属で一時期5101F+5551Fのみになりました。そして8000系も大多数が6両編成でしたが、1999年3月転属の8147F+8552Fは上記5101F+5551Fの置換で、一説によれば七光台区の入替用途で使用するためと言われていました。以後、8000系は4+2両の転属が増え、最盛期は12編成の4+2両編成(運転台撤去編成含む)が所属していました。
2015年4月に最後まで残った8121F+8544Fが廃車になり、野田線から4+2両編成が消滅しました。
伊勢崎線

2008.6.-1 春日部

2012.5.19 春日部

2012.7.14 せんげん台

2024.5.-8 春日部
2006年改正で4+2両を営業中に分割統合する運用は消滅しましたが、その後も編成上の都合から多数残存しました。恐らく、基本組成単位が6両であることと、6両編成だけでは6両運用を賄えないこと、6両編成とそれ以外で走行距離の調整が考えられます。そもそも、一昔前の東武の通勤型はM:T比1:1にこだわっていたため、どのように組成しても3M3Tになり、運用上の問題はさほどなかったのではと思われます。(編成重量は変わりますが…)
2009年春に8000系の6両固定編成が野田線に転属し、夏には2両編成がだいぶ整理されたため、12月に運用離脱する時点では8000系は4+2両編成のみになっていました。
10000系列は、30000系列の地上運用転用に伴い、混成で4+2両が増加した印象です。これは、30000系が6両・4両のみの存在のため、4両編成は2両編成と組まないと車庫で暇を持て余す存在になってしまうことからかと言えます。
2011年以降、30000系は東上線の10000系とトレードで転属していきましたが、10000系が入れ替わりで伊勢崎線に入りましたので、やはり4+2両が多かった印象です。
2013年に日光線南栗橋~新栃木間が4両編成に短縮され、4両単独運用が日中に走るようになりましたが、それでも4+2両編成は割とよく見られる存在でした。
2両編成のワンマン化や、8両運用の増加、それに伴う4+4両編成の増加で徐々に4+2両編成は縮小し、2024年7月ごろに消滅したとみられます。なお、理論上は4両編成の一部編成が分割可能なため、突発で再組成があるかもしれません。
※2025.7.15補足 2025年7月ごろから11431F+11265Fが組成されています。4+2両編成が組成されたのは1年ぶりですかね?